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【世界遺産】田島弥平旧宅~伊勢崎の世界遺産を訪ねて~

私の故郷伊勢崎市は織物の街として、上毛かるたにも「め」で詠われている。群馬県にゆかりがあればご存知の方も多いのではないだろうか。とはいえその銘仙については私自身もかるたより深く分かっている情報は、市内に「メイセン」の会館らしいものがあるということぐらいだ。小中高とお世話になり友人たちも多くいる故郷に市民として申し訳ないと思った事もあるが、今回私が取材先に取り上げようと思った理由は私の生い立ちにある。家では祖父の代に絹の染物を営んでいた。今から40年ほど前、1970年代の風景が今でも脳裏に思い浮かぶ。それは家の細長い庭に束になった絹の糸が何段にもなった物干し竿に干され、風に揺られるセピアな風景。絹は蚕の繭から紡いで作られる。自分のルーツである絹産業。今回の取材先の選定は自らのルーツを探る冒険に出たいと思ったのが本当の理由だ。

今回の取材先「田島弥平旧宅」は富岡製糸場と絹産業遺産群の中の一つとして2014年世界遺産に登録されている。富岡製糸場が有名だが建てられたのは田島弥平旧宅より9年前だ。4つの遺産の中で旧宅が最も古く1863年の建築。群馬県初の世界遺産登録だ。

場所は伊勢崎市の境島村地区。伊勢崎市役所方面からのアクセスでは坂東大橋で利根川を渡り、一度埼玉県本庄市に必ず入る。旧宅の周囲だけが伊勢崎市というエリアで北は坂東太郎の幅広い利根川、南は隣県の埼玉県、本庄市と深谷市に囲まれている。

旧宅の近くには田島弥平旧宅案内所があり、ビデオの上映や展示資料の解説を行っている。また現地のガイドも滞在しており気軽に案内してくれる。まずはそこに足を運ぶといいだろう。

奥が案内所。手前は島村の歴史などが記された島村沿革碑、題字は山縣有朋(松下村塾出身の3、9代総理大臣)が書いたそうだ。

 

案内所は境島小学校の中にある。境島村地区唯一の小学校だ。学校は土曜日だからかひっそりとしていた。旧宅に行く道中、校舎の前を通るとこの地らしいものを見つけた。蚕は桑の葉を食べ成長するがその桑の葉と蚕が繭、羽化した蛾、を組み合わせデザインされた校章が玄関の上に飾ってあった。この小学校だが現在は閉校になってしまったが、先日行われた世界遺産登録の3周年を記念したイベントではメイン会場となっている。

 

駐車場から少し歩いていくと桑畑が広がり、遠目に大きな建物が見えてきた。弥平の功績を称えた碑と国指定史跡を右手に見ながら進むと目の前に大きな門、東門だ。なかなか立派でしっかりとした門である。迎い入れてくれているようで悪い気はしない。門を入ると広い庭。そして大小の建物、世界遺産である田島弥平旧宅だ。とても大きな建物で養蚕農家の特徴である櫓が屋根の上に見られる。弥平は蚕の卵を作りそれを売る「蚕種製造業」を営んでおり、旧宅は弥平が考え出した「清涼育」を行っていた。旧宅は主屋が現存し、当時の蚕室建物跡や種蔵など遺構が残り、清涼育など近代養蚕業の技術展開を知る上で重要であることから、まず国史跡に指定され、のちに世界遺産へ登録となった。

1階が居住空間、2階で養蚕を営んでいた。かなり大きな建物だ。

 

 

 

旧宅の中の桑場1階は当時の道具などを展示してある。見学してみるといいだろう。パリ万国博覧会でのメダルも飾ってある。

歴史のまつわる話を一つ。ここは深谷とほど近い、そうあの日本資本主義の父、渋沢栄一の住まいまで2KMくらい。栄一は当時大蔵省に勤めており生家が養蚕を営んでいた。栄一は弥平の本家である田島武平と親戚で、多忙な栄一は政府の養蚕業務を武平に紹介、武平から弥平にに引き継がれたようだ。

 

弥平宅もそうだが島村地区は今でも蔵が多く残る。様々な蔵を見つけるのも楽しいだろう。

旧宅を出て利根川の方に向かった。土手につながる芝生の広がった公園があり、競技用の自転車を乗った人たちが休憩をしていた。この公園、春にはキレイな桜が咲くようだ。またその時に来てみようか。今日の連れと共に。

 

~空っ風 土手立つ頬に 懐かしく~

~北風に 向かうキミ見て 我見つめ~

 

 

群馬県伊勢崎市境島村2243番地
2018年03月16日 | ライター:関矢洋海 | 場所:群馬県 | カテゴリー:歴史・文化 

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